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VMware FusionでWindowsアプリケーションへの関連付け

仕事上Microsoft Officeで作られたWord, Excel, Powerpointがあるので、どうしてもWindows環境は必要。Mac版のMicrosoft Officeを購入しても互換性の問題がどうしても出てくる。しかしVMware Fusionを使用するようになってから完全にMac 1台ですべて済むようになり快適。ちなみにOffice 2007もファイルフォーマットが激変して使う理由が無くなった。古いOffice 2002(Office Xp)かOffice 2003はOffice 2007以降のファイルの読み書きもできるので、これが正解と思われる。

.doc, .xls, .pptのファイルをマニュアルでVMware Fusion内のMicrosoft Officeに関連付けしたいことがあるが、情報がググっても見つからないので記載しておく。

先ずTerminalというアプリケーションをユーティリティの中から起動する。

“open “とタイプした後に、Documents > Virtual Machines > のフォルダの中にある.vmwarevmという拡張子を持つファイルの中から自分が使っているwindows環境を選択してTerminalにドラッグ&ドロップ。半角スペースが一つ最後に入るのでそれを削除した後で”/Applications”と入力して[return]キーを押す。下記のようになるはず。
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※ Termial上では半角スペースは”\ “(日本語環境では\の代わりに¥かも)と記載する。
そうすると下記の様にフォルダが開く。[Applications]というフォルダを左側に登録しておく

1290058991035_3c675.png

後は適当な.docファイルを選択後
情報を見る[command]+[I]
「開くアプリケーション」を選択、「その他」を選択(下の図の[TextEdit.app]と書いてある所をクリックして選ぶ)
左側の先ほど登録した「Application」フォルダをクリック
「推奨アプリケーション」→「全てのアプリケーション」に変更
「Microsoft Word – Windows Xp Professional.app」などVMware Fusionの中のアプリを選択
ダイアログを閉じたら、全ての.docファイルがこの設定で開くように
「全てを変更」ボタンを押す。(下図の[Change All…]と書いてあるボタン)

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これでMac OS上で.docファイルをダブルクリックするとVMware Fusionの中のMicrosoft Officeが起動するようになる。
VMware Fusion 3

言葉と宗教

今、ラボで一緒に働いている日本人は移植外科医と免疫学者だが、話していてとても面白い。金曜日4時からはHappy hourというビールを飲みながら研究室の脇のキッチンエリアでダラダラだべるのが、うちのラボのお決まりである。今日は周りで談笑 している非日本人に悪いなと思いつつ、その2人と日本語での会話にのめりこんでしまった。2人とも日本史、世界史、近代史まで良く知っており、宗教や言語学にまで造詣がある。

宗教を語るに、立花隆の「猿学の現在」を引き合いに出してみた。人にしか無いと思われる多くのものが既に猿の世界に存在することがこの本で分かる。芸術と同じく、猿には宗教は無いのではないか?という質問を投げてみた。これに対し、H氏は宗教が必要になる心因的な要因は猿にも既に存在するのではないかということを死んだ子供の面倒を見る猿の親を例にして出していた。そうかも知れないなと思った。それに対し、形式化したものでないと宗教とは言えないのでは無いか?とO氏。それもそうだなと。それでは文章に書いて伝えることなどが必要なのではないか、と私が言うと、それは違う、巫女などは一子相伝のような形で 書物が無い状態でも宗教を形式化したとH氏。それでは言葉は必要なのではないかと言うと、それはそうかも知れないと。これに皆反論は無かった。

ここでウンベルトエーコの「薔薇の名前」のキャッチフレーズがピンと来た。これには感動した。勘違いかも知れないが、自己満足には十分な納得であった。この本・映画は「ヨハネによる福音書」の引用から始まる。 「はじめに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。」 なるほどそうなのかなあと。この言葉は妙に気になっていただけに、少し嬉しかった。原作も機会があったら読んでみたい。

In the beginning was the Word and the Word was with God, and the Word was God.

G-SHOCK

時計をはめないで過ごすようになってから何年が経つだろうか。無口でひたすら愛情のまなざしを注いでくれた祖父からもらった古いΩを確か高校卒業だったか大学の頃からしていた。良くなくしていた腕時計も全く無くさなくなり、肌身離さず持ち歩いていた。水が入り、日本シーベルトでも幾らかけてもどうにもならないと言われたときはショックだった。それ以来、3,000円ぐらいのCASIOの一番安いデジタル腕時計をしていたが、プラスチックのバンドがちぎれた。確か、機能的には良かったがあたり外れがあり、ボタンが押しにくかったりするのがあった。2回ほど同じものを買ったように思う。

いつの間にか時計をしなくなっていた。祖父からもらった時計の面影を求め、色々Webを漁ってみて、気に入ったのはPaneraiというメーカーの一つのモデルだった。しかし、何十万もする。とても未分不相応でつける気がしない。時計に負けない人物として自信が出たときに買えたら買おうと思っていた。しかも実物を見ていないから気に入るかどうか分からない。そして、時計をはめないでの生活が何年も続いた。10年近くになるのではないだろうか。

それでもWeb上で気になる時計はチェックすることがあり、随分と気に入ったものが出てきた。そうしたら何とミッションインポシブルという映画でトム・クルーズがはめたモデルというではないか。散々探して自分好みのを見つけたと思ったのに、がっかり。オンライン購入も考えたが、それでも気を取り直して2年ぶりの日本一時帰国にあわせて情報をプリントアウトしておいた。

新宿のさくらやウォッチ館はWatch.(ウォッチドット)などという分かりにくいネーミングになっていたが、中身は大して変わらず立っていた。何でも大抵揃っているので便利である。次のアポまで30分強。お目当ての時計目指して直進。見て、腕にはめたときにオンラインで購入しなくて良かったと思った。予想より大きい、青が気になる、液晶がそれ程見やすくないなどなど。ウィンドウに目が行き、若い今風の兄ちゃんに気になったのを出してもらった。チタン製とのことで軽い。盤面もやや小ぶりで落ち着いている。高さも低い。液晶もてらって青色を狙っていないので視野角が広くて断然見やすい。ガンメタルで落ち着いている。機能的には同じであった。15分ほど他のものとも比べて悩んだ挙句、電車の予定がせまっているので時間をロスせず決断できた。丁寧に長さをあわせてくれて、綺麗に包装して両手で紙袋を渡してくれた。アメリカに来ているとこの接客のクォリティは世界一なのではと思うほどであった。

どう自分が判断したかを振り返ると徹底したずぼらから来ていることが分かった。

  • 時間を合わせるのが嫌、というより「狂っているかもしれない」と不安になるのが嫌→電波で合わせてくれる
  • 電池換えをするのが嫌、というより「いつか止まるかもしれない」と不安になるのが嫌→太陽電池で光に当てなくても連続9ヶ月間動作する。要は電池換え不要。
  • 日本から出たときに時差を気にするのが嫌→世界時間が夏時間も含めてデフォルトで設定可。電波での時刻合わせも。ヨーロッパ・アメリカにも対応
  • 時計は貴重品、丁寧に扱わなくては、というより「壊すかもしれない」と不安になるのが嫌→G-SHOCKである。20気圧防水
  • 仕事で時計と別にタイマーを持つのが面倒→タイマー、ストップウォッチが使いやすい
  • 服やTPOに合わせて時計を変えるのが面倒→落ち着いていながらもカジュアルないでたち

要は何にもしなくてもいつも安心して使える時計が欲しかったことが分かった。少々恰好良くても最初のトム・クルーズモデルは大きすぎて重くて液晶が見やすくなかった。今1ヶ月が経とうとしているが、全くもって満足している。これでタイマーにプリセット機能があり、腕を斜めにすると自動的にライトが点灯というモードだと急激に電池が減る(多分夜中つけっぱなしのため。結局この機能は使っていない)、ここボストンだと電波が弱く自動時刻あわせは場所を選ぶ。という点さえクリアーすれば私個人にとっては究極の時計である。しかし、満足感は十分である。この空白の腕時計無しの期間を埋めてくれる存在になりそうである。

「怠慢は発明の母」というが、「ずぼらは機能美の母」なんだなと妙に納得した次第。

※ 最終的に買ったモデル。G-SHOCKのサイト・カタログにはもう見当たらない:GW-810TD-8JF
G-SHOCKオフィシャルサイト

2010.11.12 追記

頻繁に残量低下により液晶が表示されなくなった。CASIOのホームページより見ると「修理内容に関わらず、税込8,400円」。修理内容に関わらずとは!でもコスト削減になっているのでしょう。凄いことを思いつく。で、Web上で登録したら送られてきたパッケージに何も考えずに入れて投函するだけ。5日ほどで戻ってきた。モジュール不良のため交換とのこと。結局、購入後3年4ヶ月ほどでメンテナンスが必要になったが、自分的には御の字である。最近のG-SHOCKはチタン製が高価なので、良い買い物していたなと。さあ、次はいつまで完全メンテナンスフリーでいけるでしょうか。

偶然なる幸福

自分は
素晴らしいスポーツのワンシーンに感動し
成功した人生を送っている人を見て、うらやみ
自分より不幸な人を見て慰められている自分に嫌気が差す
そんな単なる俗物である。

今日asahi.comを見て二つの記事が目に付いた。

asahi.com:室内で母子3人死亡、父親は飛び降り自殺か 大阪 – 社会
asahi.com:知的障害ある息子殺害の母に懲役7年 東京地裁 – 社会

不幸な人や事件を話題にして「かわいそうに」と言うことに嫌悪感を覚え、なるべく不幸な話題には乗らないようにしている。慰められている自分に気付くのが嫌だし、話題にするだけでその人を助けようとする次の一手を自分が打たないことが殆どだからである。

しかし、今日の記事は心に納めておくにはあまりに辛い。次の一手としては余りに無責任だが、記してみる。

子供に恵まれない方々に一礼をしつつ、こう言わせてもらう事をお許しいただきたい。子を持ち、私は子供は3歳までに一生分の親孝行をするというのは本当だと実感した。子を持って親の気持ちが初めて分かるということ、「愛」という言葉の一部を理解していなかったことを実感した。

子供を愛せず虐待したり殺したり、そのような記事には不幸を感じる。その場合、心情的に子供の側に立つことが多い。しかし、愛する子供を殺すと決断したときにその気持ちたるや、いかなるものなのだろう。吐露せずにはいられないような気持ちに駆り立てられ今これを書いている。

生まれてくるとき、人は自分の親を選択できない。自らの生い立ちは出発点にて選択不能である。私は自分が幸せであることを、というか言葉どおり「単なる幸運」であったことを心の底から確信する。

新聞報道がいかに修飾されていようとも、2人の幼児と身ごもった妻を殺してから自殺した私と同じ30代の男がいる。遺体の手が組まれていた?小さな子供を自らの手で殺めて、その愛して止まない小さな手を小さな胸の上にそっと組んで置いたとでもいうのか?ありえない。演劇の中だけの話であって欲しい。読者が皆騙されていて本当は見知らぬ男の一家殺人であった方が良かったと思う。愛する家族を殺し自ら命を絶ったこの男と同じ境遇に生まれ育った時に、自分が同じ決断をしないという保障などどこにあるのか?

そして、自らの子供を殺したというこの母親、新聞報道からは推測されるのは子供を愛していたのではないかということである。もし私が知恵遅れとして生まれ、よき人にめぐり合えず、育てた子供を病気で失い、同じ知恵遅れの子を片親として育てたときに、この母親と同じ決断をしないという自信は私には湧かない。

私が彼であったかもしれない。私が彼女であったかもしれない。

たまらない。

次の一手を打たない自分がここにいていつものごとく気分が悪い。自分が少なくとも今より強く大きくなり、少なくとも身近な人々だけでも幸せな方向へ向かわせる何らかの言動を死ぬまでの数十年の間に続けたい。それが出来れば自分が棺桶に入るときに多少は自己満足できるのではないかと思う。

心より冥福をお祈りします。

君は修悦体を知っているか

息抜きです。仕事してから見てください。

妙に好きです。Steve Jobsが言っていたようにFontの世界はScienceの手が微妙に届かないArtの世界でとても好きです。しかし日本人だよなぁ。一時的な標識に気持ちを込めることのできる無常を友とする日本人。桜と花火に通ずるものがある。

動画は一番上のリンクでは2つとも同じものになってしまっているので、下の方のリンクから見てください。まとめて見ても16分ぐらいで済むと思います。

[N] 「修悦体」とは?

SLN:blog*: 君は修悦体を知っているか

修悦体で新宿駅が便利に(佐藤修悦さんのガムテープフォントドキュメント) トリオフォー[34]

まつもとゆきひろ×結城浩,Rubyを語る:ITpro

まつもとゆきひろ×結城浩,Rubyを語る:ITpro

とても興味深いお二人の対談を思いがけず目にした。結城さんはプログラミングのことをWeb上で検索していくと何かかしかで行き当たった方。Webサイトが極めて見やすいなー、分かりやすい表現をするな。というのがおぼろげな記憶。そしてMatzさんは今一番話題性の高いRubyという名のコンピュータ言語を作った人で、さぞや国際的でやり手の人かと思いきや全く別。何となく誇りに思える人。「Matzにっき」などはつらつらと眺めることが多い。

同じプログラマーなので、イメージが重なるかといえば何故か私の頭の中でのお二人のイメージは随分と異なり、想像しやすい対談の組み合わせにも関わらず実際の対談が行われたことを知ったときにはちょっと驚いた。興味深く読み進めるとやはりお二人の性格は随分異なることが分かる。お互いに尊重しながら話を進めている。プログラミングはアマチュア、コンピュータ言語そのものへの造詣など全く無い私でも楽しめた。

頭の中で異なっていたイメージはそのまま対談でのお互いの立ち位置としての違いに現れていて納得したが、どうも気持ち悪い部分が残る。それは恐らく、この2人に共通した何かを対談を読む前からずっと感じているのだが、うまく頭の表層に出てこないからである。この2人の共通点は実はクリスチャンであるということがある。対談中「副作用は悪だから(笑)」という下り、実はお互いにキリスト教での「悪」を意識して笑ったのかなぁと思ったりした。

ボストンという場所で多国籍の人々と仕事をするようになって4年弱が経とうとしている。ユダヤ教信者が各分野において統計学的には信じられないほどの成功を納めていること、キリスト教信者にとってキリスト教は生活の一部、体の一部であることなど、同僚の研究者である欧米人とかなり突っ込んだ話をできるようになり、身を持って実感できるようになってきた。現在30代後半の男性日本人に典型的である真面目に宗教を持たない私のような存在にとってキリスト教は最も不思議な宗教の一つである。まつもとさんと結城さんの全くといって良いほどのキャラクターの違い、しかし何かしらの共通部分を感じつつ、それがキリスト教の真面目な信者であることと関係がありそうでそこが明確に見えてこないもどかしさ、そんなことを感じながらこの対談を読み終えた。

自然科学の研究者であり医学という実学に携わり、典型的な日本の教育を受けてきた私は宗教を科学に相対するものとして、はすに構えて見てきたところがあった。ボストンに来て、日本人であることは一つの宗教を持っていることとかなり相似しているのではないかということを実感した後に急に興味を覚えてきた。いつか上記のお二人の共通点と信ずる宗教との間に何らかのかかわりが見えてきたとき、私は小さく自己満足するような気がする。